妊娠した時には嬉しくて…でもだんだんしんどくなって、出産が大変で、でも生まれたらかわいくて…。
かわいいけど『わからない』事ばかりが毎日続いて「ひーーーー!」と泣きたくなる…育児とはずっとそんな『楽しさ』と『大変さ』の波状攻撃のような日々です。
睡眠不足になるとだんだん忍耐力や思考力が削れてきて、マイナスのスパイラルにからめとられそうになる、残念なことですが、それで当たり前なのです。
赤ちゃんは、自分が産んでも別人格
どんなにかわいくても、自分の体の中から出てきたとしても、子供は別人格です。思うようにはなりません。基本的に言うことは聞きません。聞いてくれたらラッキー(^^♪と思うくらいにしておくと、少し気持ちが楽になります。
それは大人相手となんら変わりません。期待して、しかしその通りにならないと裏切られたような気持になってしまうのです。
子供は確実に成長します。しかし、その速度には個人差があります。母子手帳や育児の参考書にある月齢の情報は、あくまでも『参考』であって『絶対』ではないのです。
出来ないことを叱ってもしょうがない
赤ちゃん=乳児から幼児に成長してくる過程で、潜り抜けなければならない節目がいくつかあります。それらの中でも厄介なのが断乳やトイレトレーニングです。
ことにトイレトレーニングは、子供自身の「おむつにではなく、トイレでする」という意識改革だけでなく、体の発達が整わない子に、無理を強いてはいけない、という気持ちを持っていないと、親子の関係まで悪くなってしまう場合があるのです。
保育園や児童館、サークルなどで月齢の近い子と接する機会が多いと、たまたま少し早くできるようになった子がいたり、周囲が気になって、『まだ』出来ていない、出来るようになっていない、ということに悩む人が少なくありません。
生まれた時の体重も個人差があります。月満ちて生まれる子、早産の子、産まれた状況も様々です。当然、健康状態もさまざま、誰一人同じではありません。
まだおむつを外せる状態でない子にいきなりパンツをはかせても、失敗するのは当たり前なのです。
そうすることで『気持ち悪い』という感じを学ばせると良いよ、という先人のアドバイスがよく聞かれますが、その結果として汚れ物を洗う手間や、失敗してしまった子供を一度も叱らずに笑って許せるかというと、この時期の疲れたお母さんにそれは難しいのではないでしょうか。
成長とともに「お悩み」や「大変」は変わっていく
笑えば褒められる。返事や挨拶が出来れば褒められる。そしてそれが日常になっていきます。
訓練しているときには必死で、多分結構な割合で大人も子供もしんどい思いをしても、断乳して普通に一人でご飯を食べられるようになり、そして自分でトイレに行けるようになるのです。
課題をクリアすると、それが当たり前になり、次の『大変』が巡ってきます。『魔の二歳児』、『悪魔の三歳児』と言われる時期を潜り抜け、友達との関係性やら、集団生活やら、だんだんトライしていく対象が大きくなり、増えていくのです。
それでも。
子供はそのたびに成長していきます。少しずつ、一つずつ。でも多分着実に。親も、一緒にクリアしていくことで修業を積んでいくようなものです。
まさに息子がやんちゃな三歳児だった頃。彼よりも少し大きい男の子のママと話をした時に
『いつになったらこのサル状態が終わるんだろう~~~』と言ったら
『大きくなってもサルはサルよ~~~もっとパワーが付くから大変だよ~~~』
と言われ、何か、憑き物が落ちた気持ちでした。
そうか。
それで当たり前なんだ、と。
子供が成長していけば、習い事が始まったり、学校の勉強が始まったり。
そのたびに『大変』の意味が変わります。こんどは勉強や運動、そして進路などへと心配の種がシフトしていくのです。もしかしたら、大人になるまで、そしてもっと先まで。
まとめ
だから、小さいころの『大変』は、もっともっとおおらかに見てもいいと思うのです。
でも、なかなかその時期のお父さん、お母さんはきっとそんな気持ちにはなりにくいことでしょう。
だから、周囲の大人として、そっと見守って、時には手を差し伸べる、そんなふうにありたい、と今なら思います。
大丈夫。
みんなそうやって大きくなってきているのですから。