長い間、少林寺拳法の稽古していると、自分のこと、子供の事、そして演武で組んだバディとのこと、様々な悩みも出てきます。
ここでは、私の体験して苦労したことや気を付けたい事などをまとめてみました。
目 次
苦労したこと、注意すること
稽古に対する考え方も人それぞれで、うまくかみ合わないとぎくしゃくしてしまったり。
昇段試験の勉強が大変で時間のやりくりが付かず、さまざまな壁にぶち当たることもあります。
もし、学生の体育会で少林寺をやっていたとしたら、私はとても続かなかったと思います。
そこまで時間をかけたり、体力をガチで注ぎ込むほどにはとてもできません。
しかし、社会人だとやりたいレベルを自分で設定して進めていけるのではないかと思っています。そこから、仲間に引っ張られてちょっと頑張ってみる、くらいの気持ちがあれば、十分ではないでしょうか。
自分のペースで稽古する
女性は、どうしても若い人や体力のある男性にはかなわないなぁ、と思うことがあります。
稽古の前半の基本練習で、突きや蹴りを耐久戦のように繰り返すトライアルもたまにやりますが。終わるとフラフラになります。
それはそれで、汗をかいて楽しい、とも思いますが、毎回それでは疲れてしまって、そのあとの各自のレベルにあった技の稽古や帰宅してからの片付けや家事までパワーがもちません。
大人になると、そういうペースの配分が難しいのです。家族がいて、自分一人の生活ではない場合、やることをしっかりやってこその少林寺なので。
ケガをしない
また、ケガをしないように、という配慮も大きくなります。
学生の場合には無茶をするくらいで丁度いいと言われてしまいますが。社会人はそれが仕事や家のことに直結してしまうので、そこまでの無理はできません。
初段~二段くらいになると、制圧することで相手の腕や手首に結構な負荷がかかる技があります。
そういう場合には、やり過ぎると腱鞘炎になったりするので、一回一回を丁寧にやって、傷めないような配慮をお互いにして技を覚えるのです。
『守るもの』がある大人は、無茶は出来ないものだなぁ、と自覚しつつ、それでも、出来るようになると嬉しい、最後まで演武をやり通せると気持ちいい!という思いで、みんな継続しているのだと思っています。
少林寺拳法は長く続けられる?
少林寺拳法だけでなく、他の武道でも、スポーツでも、自分のペースを自覚して、緩く続けるのが大人のやり方としてちょうどいいのだと思います。
自分の生活に合わせて続ける
みな、仕事や生活をもっていますので、稽古の開始時間に間に合わない場合や、毎回参座出来ない人もいます。
しかし、ここは学校ではないので、来られなくても、当たり前ですが叱られません。演武の稽古でうまく時間がとられない場合には、休日に一時間だけ、と調整し、集中して合わせる稽古もします。
こうした場合にはそれまでにお互いイメトレやストレッチなど、個々にできることはしておき、その場に於いて出来る限りのパフォーマンスを引き出す努力をしています。
そういったメリハリをつけて、細くても緩くても長く、それくらいのスタンスで、とりあえず稽古には顔を出す、くらいが私にはちょうど良い、と思っています。
いろんな年齢層の人たちと知り合える
また、少林寺拳法にはいろいろな年齢層の人が集ってきます。
現役で働いている人もその職業は様々で、道着を脱いだら異業種交換会のようです。私などは、こんな機会が無かったら会うことも、話をすることもないような人たちとフラットにお付き合いできるというのも大きな魅力です。
子供たちも成長過程でそういった多くの大人たちの姿を見て、話をして、様々な刺激を受けています。
親子でやってみてどうだったか
子供たちが小学生の頃に、私が後を追うように家族の中では最後に入門しました。
運動はいろいろしていましたが、少林寺は全く別物でした。
それまでは、子供たちの演武の稽古を見ていても「もっとうまくできるんじゃないかなぁ」と思うこともしばしばでした。
しかし自分が実際にやってみると、これが本当に難しいのです。
突き蹴りも、形の真似だけでなく、実際に力のベクトルを考えて繰り出さないと当てたときに全然決まらない。さらに、相手と組んで行う稽古では、技が全くかけられず、効きません。
できなかった時には、帰宅してから当時小学生だった息子たちに「この技どうしたらうまくできる?」と教えを乞うようになりました。
さすがに、先行して数年習っていただけのことはあって、彼らはそれをするりとやってのけるのです。
先生が「子供は凄いよね。一度できるようになったら、自転車に乗るのと一緒で体が覚えててて、忘れないんだよ」とおっしゃる通りでした。
他の子と比べて「もっとうまく」なんてとんでもなかった…自分はそれにも遠く及ばない状態だったので、内心「ゴメン」と思い、彼らに対してリスペクトの気持ちも持つようになりました。
それから何度か親子演武も経験し、受験でフェードアウトした長男も夏休みなどには顔をだして稽古することもありますし、次男は自発的に高校で少林寺拳法部に入り、二段を取得、高3に関東大会まで行きました。
それを見守ることができたのも、とても嬉しい思い出でした。
男の子たちは年頃になると難しい、とよく言われますが。
ともに技を磨き、汗を流してきた少林寺拳法は、確かに私ども親子の間の『共通言語』として、大変有効であったと思っています。